日常のすきま|曲から生まれた短編小説

この文章は、拙作「日常のすきま」という曲と歌詞をモチーフに書いた短編小説です。

忙しない日々の中で、私たちは立ち止まることを後回しにしがちですが、
うまくいかない時間や、何者にもなれない瞬間は、人生のどこかで必ず必要なものだと、今は思っています。

これは、劇的に何かが変わる話ではありません。
ただ、日常と日常のあいだにある、
ほんの小さな「すきま」を見つめる物語です。

よければ、いつもの生活を少しだけ横に置いて、
静かな時間の流れを感じながら読んでいただけたら嬉しいです。


1. 日常のすきま

会社を休むことになってから、時間は奇妙な形をするようになった。

朝と昼の境目が曖昧で、曜日はすぐに意味を失う。
蘭は目覚ましをかけないまま目を覚まし、カーテン越しの光が強いか弱いかで、今日が晴れなのかを判断した。

コーヒーを淹れる。
マグカップに注いで、ソファに座る。
気づいたときには、もう冷めている。

「……別に、いいか」

以前なら考えられなかった言葉だった。
温度も、味も、効率も、いつも“ちょうどよく”あるべきだった。

それができない自分は、どこか欠けている気がしていた。

ニュースは音だけ流して、画面は見ない。
経済、事故、炎上。
自分がいなくても、世界は問題なく進んでいる。

その事実が、胸に小さな穴を開けた。


休職に入った初日は、罪悪感でいっぱいだった。
本当は今日も、誰かが残業している。
自分が投げた仕事を、誰かが拾っている。

ベッドに横になりながら、蘭は天井を見つめた。
何もしていないのに、疲れている。
何もしていないから、余計に苦しい。

——何をして過ごせばいいんだろう。

答えは、どこにもなかった。


少し前の記憶が、不意に浮かぶ。
深夜のオフィス。
光るモニター。
「助かるよ、蘭さんなら大丈夫だよ」という、無責任な期待。

眠れなくなって、夜にビールを飲むようになった。

そのまま意識を落とすように眠る。
朝は、頭が重い。

そして、あの日。
ひとつのミス。
ひとつのクレーム。
謝罪の電話口で、何かが音を立てて折れた。


昼過ぎ、散歩に出た。
理由はない。ただ、部屋の空気が重くなった気がしたから。

夏の空を見上げると、雲が不自然な形をしていた。
まるで、何かに喰われたあとみたいだ、と思った。

「空想と創造……」

なぜそんな言葉が出てきたのか、自分でもわからない。
でも、今の自分には、それで十分だった。

公園のベンチに座り、風に吹かれる。
この時間は、どこにも属していない。
仕事でも、休みでもない。

——日常の、すきま。

その言葉が、すっと胸に収まった。


2. 役に立たない時間

休み始めて一週間が過ぎたころ、蘭は曜日を間違えるようになった。

ゴミ出しの日を逃して、少しだけ落ち込む。
けれど以前のように、自分を責め続けることはなかった。

——まあ、いいか。

その言葉は、逃げでも開き直りでもなく、単なる事実の確認に近かった。

午前中に眠くなり、午後に少し目が冴える。
散歩の距離が、日ごとに伸びていく。
特別なことは何も起きない。

それが、少しずつ心地よくなっていた。


病院の帰り、エレベーターに乗った。
閉まる直前、誰かが駆け込んでくる。
若い男性だった。
スーツに少しだけ疲れがにじんでいる。

「……すみません」

彼はそう言って、軽く頭を下げた。
蘭は反射的に首を振る。

ほんの一瞬、視線が合った。
その目には、かつての自分と同じ色があった。

扉が閉まり、数字が減っていく。
それ以上、何も起きなかった。

それでも、その出来事は一日中、心のどこかに残った。


家に戻り、ソファに倒れ込む。
天井を見つめながら、ふと思う。

——あの人も、ちゃんと休めているだろうか。

以前なら、そんなことを考える余裕はなかった。
他人のことを思う前に、自分が潰れていた。


回想は、だんだん短くなっていた。

残業続きの夜。
誰もいないフロア。
キーボードの音だけが、妙にリズムを刻んでいた。

目標管理シート。
達成率。
期待値。

それらは、すべて正しかった。
正しすぎて、息ができなかった。


午後、窓を開けると、風が入ってきた。
洗濯物が、ゆっくり揺れる。

頭の中で、名前のないメロディが、ほどけるように流れた。

「……意味、ないよね」

そう呟いてから、少し考える。
意味がないことは、本当に悪いことだろうか。

役に立たない時間。
成果に繋がらない思考。
何者にもならない午後。

それらがあるから、人は壊れずに済むのかもしれない。


ある日、平日の昼間にしか開いていない喫茶店に入った。
客は、年配の女性が一人だけ。

「お仕事、お休み?」

カウンター越しに聞かれて、一瞬言葉に詰まる。
それから、正直に答えた。

「……はい。ちょっと、調子崩して」

女性はそれ以上、踏み込まなかった。
ただ、コーヒーを置いて、こう言った。

「そういう時間も、人生には必要よ」

それは、あまりにもありふれた言葉だった。
でも、胸の奥で何かがほどけた。


帰り道、蘭は空を見上げた。
季節は、少しずつ夏から秋へ向かっている。

雲は、もう喰われていなかった。
ただ、形を変えながら流れていくだけだった。

——うまくいかなくても、いい。

そう思えたのは、初めてだった。


3. 無理をしている自分に、気づくこと

秋が来るのは、思っていたよりも早かった。
朝の空気が少し冷たくなり、散歩の途中で羽織りものが欲しくなる。

季節が変わることに、理由はない。
頑張ったからでも、耐えたからでもない。
ただ、そういうふうにできている。

それが、少し羨ましかった。


休職して三か月目。
診察室で、医師は淡々とカルテを見ながら言った。

「眠れるようには、なってきましたね」

「はい。……前よりは」

「それなら、十分ですよ」

“十分”という言葉に、蘭は少し驚いた。
もっと何かができていないと、前に進めないと思っていたから。

回復には、段階も、点数もない。
その事実が、ゆっくりと胸に染みていく。


帰り道、満員ではない電車に乗った。
座席に空きがあり、迷わず座る。

以前の自分なら、立っていただろう。
座ることに、どこか後ろめたさを感じていた。

今は、足を揃えて、静かに揺られている。

窓に映る自分の顔は、少しだけ柔らかかった。


過去の記憶が、また浮かぶ。

期待されることが、誇らしかった。
頼られることが、自分の価値だと思っていた。

でもそれは、糸を握りしめて凧を飛ばすようなものだった。
風が強くなればなるほど、手は痛くなる。
いつか、切れる。

切れたのは、糸ではなく、自分だった。


五か月目の終わり、蘭は一つだけ決めたことがあった。

——無理をしている自分に、気づくこと。

それは、簡単なようで難しい。
今までずっと、無理の上に立って生きてきたから。

疲れているなら、休んでいい。
元気になったら、また歩けばいい。

誰かに言われた言葉ではない。
自分の中から、初めて出てきた言葉だった。


冬の日。
風は冷たく、街は少しだけ無表情になる。

公園の片隅で、溶けかけの雪だるまを見つけた。
目も、鼻も、もう形を失っている。

それでも、なぜか嫌な気はしなかった。

溶けるのは、失敗ではない。
役目を終えただけだ。


復職の話が出たのは、その少しあとだった。
条件付きで、時間を短くして。
できないことは、できないと言っていい。

不安は、もちろんある。
でも以前のような、息が詰まる感じはなかった。

満員電車。
オフィスに並ぶ目標の羅列。
雑踏と喧騒。

それらは、相変わらずそこにある。

オフィスには、相変わらずキーボードの音があった。

——なんとか、やれるさ。


出勤初日の朝、エレベーターに乗る。
閉まる直前、誰かと目が合う。

知らない顔。
でも、もう怖くはない。

扉が閉まる。
数字が、ひとつずつ増えていく。

蘭は、深く息を吸った。

日常は、また始まる。
でもその間に、確かに——すきまがある。

それを知っているだけで、世界は少し優しかった。


日常のすきま

夏の日 空の雲が
ナニモノかに喰われてしまった
空想と創造
パズルのように繋ぎ
うまくいかない
日常のすきま

朝のニュース 流し見しながら
コーヒー冷めたことにも気づかない
今日の予定 頭で並べて
ドミノにして飛ばした

sha-la-la-la- 私とこの地球
sha-la-la-la- 廻りながら進んでいく
もつれあった意識と論理
それでも日々は続いている

冬の日 凍る風が
ゆきだるまを溶かしていった
平凡と純情
カイトを空に飛ばせ
糸は切れるが
日常のすきま

だけどエレベーター 閉まるその前
ふと誰かと目が合ったりして
現実との境界線 保ちながらも
分厚い壁を落とした

sha-la-la-la- みんなとこの宇宙
sha-la-la-la- 対話と紛争を繰り返し
複雑に繋がり合いながら
一歩ずつ 社会は作られていく

疲れているなら 休んでいいよ
でも元気になったら また歩こう
たとえ うまくいかなくたって
気にしなくていいよ いいよ

いつもの日 満員電車
オフィスにならぶ 目標の羅列
雑踏と喧騒
キーボードの音でリズムを取って
なんとかやれるさ
日常のすきま

Bluepiece Lab. 「日常のすきま」歌詞

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音楽から生まれた物語を、これからも書いていきます。
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AIを使ったクリエイティブを行うプロジェクト。
音楽や小説を中心に、作品全体を「ひとつの物語」として構築することにこだわっています。
技術よりも感情、効率よりも余韻を大切に制作しています。

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