花は散り

1. 灰の記憶

火葬場の煙突から、白い煙が真っすぐに空へ伸びていた。
カズトは、もう何度目かわからないほど、深く重い息を吐いた。
唯一の家族だった父の喪失。
母は幼い頃に亡くなっている。
残された家族は、もう誰もいない。

人は炎に包まれて、灰になってしまうのか。

目の前で燃え尽きる棺を見て、その事実だけがいつまでも胸に残った。

その夜、カズトはまた同じ夢を見た。

──

一面の花畑。
突如、空が裂けるような光が落ち、花々は炎に包まれる。
熱風が襲い、何もかもが赤く染まる。
逃げようとするのに、身体が動かない。

受け入れるしかない。
燃え尽きて、父や母の元へ行けばいい。


──

そう思った瞬間に目が覚めた。

シャツは汗で貼り付き、呼吸は乱れている。

また、同じ夢だ。

父の看病のために仕事を辞め、家に篭っていたカズトの心は、すっかりくすんでしまっていた。
現実の色が薄れ、夢の炎だけが鮮明だった。

そして、気づく。

そういえば、あの夢の花畑は…子供の頃、家族で来た場所だ。

唯一残る家族の記憶。
色彩だけが取り残された、遠い日の景色。

ある朝、カズトは唐突に決意した。

「…行こう。あの花畑へ」

2. 色褪せた花畑

十数年ぶりかに訪れた花畑は、記憶よりもずっと小さく、現実的だった。

花の奥にはスプリンクラーが並び、柵が景色を区切っている。
観光地らしい売店とソフトクリームの看板。
管理費用は、市の予算から出ているのだろう。

子どもだった自分には果てしなく思えた場所が、今は箱庭のようだ。

そんな時、不意に声がかかった。

「暗い顔のイケメンくん?」

振り向くと、髪の長い女性がこちらを覗き込んでいた。
目元は涼しげで、笑うと花の影が差すように柔らかい。

「綺麗な花が泣いちゃうよ。その顔じゃさ」

思わず苦笑がこぼれた。

「子供の頃に来た場所なんです。…でも、記憶と全然違ってて」

「そういうものだよ」

彼女は興味がなさそうに言ったが、その目はどこか懐かしさを帯びていた。

「私はカナ。花はね、散るから美しいの。人と同じだよ」

「散るのは…寂しくない?」

「大丈夫。散ってもまた咲くから。必ず、ね」

その言葉に、カズトは胸の奥がかすかに揺れるのを感じた。
どこかで聞いたような、懐かしい響きだった。

しばらくふたりは並んで花を眺めていた。
カナは季節ごとの花の咲き方、土の固さや雨との関係など、指先でそっと示しながら話した。
その説明はどれも素朴で、けれど不思議な優しさがあった。

「…なんか、落ち着くね。ここ」

「でしょ?私のお気に入りの場所だから」

初めて会ったはずなのに、カズトは昔から知っていた人と話しているような錯覚を覚えた。

夕暮れが近づき、花畑に淡い影が伸びはじめたころ、カナはふっと笑った。

「今日はゆっくり休みなよ。また明日、会えるかもしれないし」

その言葉が妙に心に残った。

その日は近くのホテルに泊まり、簡単な夕食を済ませて早く休んだ。

3. 夢の中のカナ

そしてその夜――また夢を見た。

いつもの花畑。
けれど、風が違った。
乾いた熱が頬を刺し、鼻をつく焦げた匂いが漂ってくる。

次の瞬間、花がぱちぱちと音を立てて燃え上がった。
甘いはずの香りが、焦げた花弁の苦味と混ざり、胸の奥をざわつかせる。

炎の向こうに、カナがいた。

「カナ!危ない!」

思わず駆け寄り手を掴むと、彼女はいつもと変わらぬ調子で、くすっと笑った。

「平気だよ。ほら、見て」

その声が落ち着きを取り戻すように響いた瞬間、炎は風に払われたように消えた。
空は澄んだ青へと変わり、燃え尽きたはずの花が一斉に咲き戻る。

鮮やかな色彩が永遠の風景となって視界いっぱいに広がった。

「…ここは、昔の花畑だ」

「そう。あなたが覚えている景色」

カナは、まるで初めからそこにいたように自然だった。

「ねえ?輪廻って信じてる?」

「…考えたこともない」

「なんどでも会えるよ、ここで。あなたが望む限り」

手を繋ぐと、不思議な安心感があった。
彼女の輪郭に、なぜか母の面影が差した気がした。

4. 花は散り、君は咲く

翌日、ホテルを出て、昨日と同じ石畳の小道を抜ける。
現実の空は薄く雲がかかっていて、冷たい風が肌を撫でた。
花畑に戻ると、カナは昨日と同じ場所に立っていた。

「おっ、ちょっと元気になった?イケメンくん」

軽く笑うその顔は――夢の中と同じだった。

「いつも…ここにいるの?」

「うん。働いてるからね」

その言い方には、どこか“ここに留まっている理由“があるように聞こえた。

カズトは恐る恐る聞いた。

「昨日、夢に出てきたんだ。カナが。燃えている花畑で」

「んー。夢はね、その人の弱いところを映す鏡だよ。でも、もう大丈夫。あなたはまた、咲ける」

彼女はそう言って、花を一輪手渡した。

「散っても、また咲くんだよ。あなたもね」

その言葉は、胸の奥に静かに沈んだ。

ふと、風が吹く。
花びらがひとひら、カナの肩に落ちる。

その瞬間、世界が一拍遅れて揺れた。

白い花弁のきらめきが、燃えさかる夢の炎と重なる。
光が破裂するように視界を塗りつぶし、胸の奥で何かが跳ねた。

鼓動が耳の奥を打つ。
だがそれは、自分の心音ではなかった。

聞こえたのは――懐かしい温もりを伴った、“僕じゃない誰か“の鼓動。

視界がぐらりと歪む。
地面が消失したかのような浮遊感と共に、映像が雪崩のように押し寄せた。

――花畑で笑う母の横顔
――父が最後に語った“母の笑顔“の記憶
――炎の中で振り向いた、夢の中のカナ

喉の奥で短い呼吸が詰まる。
過去と夢と現実が、一本の線で束ねられ、鋭い閃光となってカズトの心臓の中心へ突き刺さる。
膝から力が抜けそうになるのを、必死でこらえた。

輪が閉じ、輪が開く。
終わりと始まりが重なり合う音がした。

そして――。

「……カズト?」

ふいに、肩をつつかれた。

世界がゆっくり色を取り戻していく。
花畑、風、空の青。
目の前には、困ったように笑うカナがいた。

「大丈夫?ほら、戻っておいで」

悪戯っぽい目つきで、指をひらひらと振る。

「これは重症だねぇ。イケメンくん、花に酔っちゃった?」

カズトは息を吸った。
やっと呼吸が戻る。
胸の鼓動が、ようやく自分のものに重なる。

「…ごめん、ちょっと、変な感じがして」

カナはくすっと笑う。

「見てたらわかった。どこか、遠くに行ってたでしょ?」

図星をさされ、言葉を失う。

カナは屈託なく続けた。

「でもね、ちゃんと戻ってきたから大丈夫。ほら、今はここ。現実の花畑にいるんだよ。」

優しさと軽さが混ざり合った声に、カズトはようやく大地に足をつけた気がした。

そのあともしばらく、ふたりはゆっくりと花畑を歩いた。
季節の話や、どこに咲く花が好きかという他愛のない会話を重ねるうち、陽は少しずつ傾き、影が長く伸びていく。

気づけば、花畑は柔らかな橙色に染まっていた。

夕暮れの花畑で、カズトはそっと問いかけた。

「……また会える?」

カナはまばたきを一度だけして、太陽みたいに柔らかい笑みを浮かべた。

「もちろん」

そして、風に髪をなびかせながら、まるで当たり前のことのように続けた。

「私はここにいるよ」

その言葉は胸の奥まで静かに落ちて、さっきまで残っていたざわめきを、すうっと洗い流していく。

花が散っても、また咲くように。
記憶が途切れても、また繋がるように。

カズトは思う。
この場所に来れば、きっとまた会えると。

花の香りと風の音だけが残る中、二人はしばらく、何も言わずに並んで立っていた。


花は散り

たとえ焔が空を焼き尽くしても
灰のなかに生命のカケラがある
いくつもの季節が通り過ぎては
ただ立ち尽くして崩れる景色をみる

花は散り 声は枯れ
花は散り 大地は裂け
夢は散り 空は燃え
花は散り 花は散り

花は散り 声は枯れ
花は散り 大地は裂け
夢は散り 空は燃え

風に舞う火の輝きは
鼻をつく香りに呑まれ
泥の中で深く眠れば
やがて意識に還る

グレイの空の記憶に
止まった時間の中に
チクタク耳を打つ心音
聞こえたのはボクじゃない誰か
花は散り…

たとえ孤独が夜を覆い尽くしても
冷たい雨の中に強い光が見える
いくつもの歴史は作られて
誰も知らぬうちに海に沈んでいく

花は散り 世界は消え
夢は散り 無限の時間
花は咲き 種子となり
キミは咲き 狂い咲き

それでも 終わりははじまりへ
繋がる輪を指で追って
結びついて混ざり合って
私はここにいる

グレイの空の記憶に
止まった時間の中に
チクタク耳を打つ心音
聞こえたのは僕じゃない誰か

花は散り…

あとがき