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共感のリズム

Falling Petals — 物語を奏でる音楽

1. なんでもない放課後

放課後、音楽室のドアは少しだけ重い。
開けると、ピアノの匂いと、埃っぽい空気が混ざっている。

「今日、最悪なんだけど」

入ってくるなり、愛が言う。
理由は聞かなくてもだいたい分かる。
だいたい、全部。

「前髪切りすぎた」
「それは自分でやったからでしょ」

心美がすかさず言う。
でも声は優しい。

私は鍵盤に触れる。
音を出すほどの気分じゃないから、触るだけ。

「ねえ音葉」
愛がスマホを見ながら言う。
「“いいね”ってさ、押すタイミング分かんなくない?」

「分かる」

それだけで話は進む。
深掘りしない。
それがちょうどいい。

心美は机に突っ伏してる。
今日の英語、また単語テストでやらかしたらしい。

「私、なんで覚えられないんだろ」
「覚えなくていいんじゃない?」
愛が言う。
「生きてるし」

心美が笑う。
変な笑い方。

窓の外で、急に雨が降り出す。
さっきまで晴れてたのに。

「天気、情緒不安定すぎ」
「それな」

私は小さく鍵盤を鳴らす。
適当な音。
でも、三人の間で、ちゃんと収まる。

話題は飛ぶ。
ドラマの最終回とか、
どうでもいい噂とか、
将来の話をしそうになって、やめるとか。

特別なことは何もない。

でも、帰るころには、
ちょっとだけ呼吸が楽になっている。

たぶん、こういう時間があるから、
明日も学校に来られるんだと思う。

誰かと同じ気持ちじゃなくてもいい。
同じ部屋で、同じ空気を吸って、
「それな」って言えれば、それで。

私は音楽室の電気を消す。
最後に残った音は、
私たちの靴音だった。


2. コンビニに寄るだけ

「寄っていい?」

愛が言う。
もう答えは決まってるけど、一応聞く。

「いいよ」
「心美は?」
「行く」

三人で横断歩道を渡る。
信号はちょうどいいタイミングで青になる。

コンビニのドアが開く音は、いつも同じ。
なのに、今日は少しだけ明るく聞こえた。

「何買う?」
「決まってない」
「それ一番時間かかるやつ」

心美はホットスナックの前で止まる。
しばらく悩んで、結局何も買わない。

「見ただけで満足した」
「それある」

私は冷蔵棚の前で、飲み物を選ぶ。
どれも同じ気がして、どれも違う。

愛はいつの間にか新作のスイーツを持っている。
判断が早い。

「今日さ」
レジに並びながら、心美が言う。
「別に悪い日じゃなかったかも」

「急にどうした」
「分かんないけど」

会計が終わる。
レシートは要らない。

外に出ると、空気が少し冷たい。
それが気持ちいい。

三人で歩きながら、
買ったものを開けるタイミングが、なぜか同じになる。

「シンクロしてない?」
愛が言う。
「してる」

それだけで、笑う。

それぞれ違うものを選んだのに、
歩く速さも、話す量も、
なんとなく揃っている。

「明日さ」
心美が言う。
「早く帰りたい」

「なんで」
「なんとなく」

その“なんとなく”を、誰も否定しない。

コンビニの灯りが、後ろで小さくなる。
それだけのことなのに、
今日がちゃんと終わった気がした。


3. 曲がり角

帰り道は、三人で歩くのが当たり前だった。
でも今日は、心美が先に曲がる。

「じゃあね」

それだけ言って、手を振る。
声はいつも通り。

背中が、小さくなっていく。
角を曲がる直前、少しだけ振り返った気がした。

残ったのは、私と愛。

急に、音が減る。
足音が二人分になるだけで、道は広く感じる。

「静かだね」
愛が言う。

「うん」

街灯の光が、一定の間隔で落ちている。
影が伸びて、また消える。

「心美さ」
愛が言いかけて、やめる。
その“やめた”感じが、妙に分かる。

「大丈夫だよ」
私は言う。
理由はない。

愛は少し笑う。
それは、安心した顔だった。

「音葉ってさ」
「なに」
「そういうとこあるよね」

悪い意味じゃない。
たぶん、いい意味でもない。

歩きながら、私は考える。
言葉にしなかったこと。
言わなくてよかったこと。

全部、同じ重さじゃない。

駅が見えてくる。
人の気配が戻ってくる。

「じゃ、ここで」
愛が言う。

「うん」

別れる瞬間、
何か言いそうになって、やめる。

代わりに、軽く手を振る。

愛は振り返らずに歩いていく。
その背中を見て、私は思う。

今日は、何も起きなかった。
でも、それでよかった。

誰かと一緒にいる時間は、
こうやって、少しずつ形を変える。

それに気づけた夜は、
たぶん、悪くない。

数か月後
春になっていた。
制服の袖が、少しだけ短く感じる。

音楽室の窓は開いていて、
風が譜面をめくる。
私はそれを、特に止めない。

愛は来ていない。
今日は用事があるらしい。

心美は、少し遅れて入ってくる。
髪を切っていた。
前より短い。

「切ったんだ」
「うん」

それだけ。

心美は椅子に座って、
カバンを足元に置く。
前みたいに、机に突っ伏したりはしない。

私は鍵盤を鳴らす。
前に作った曲の続きを、思い出しながら。

「それ、好き」
心美が言う。

理由は聞かない。

窓の外で、誰かが笑っている。
その声は、ちゃんと遠い。

「最近さ」
心美が言う。
「前より、ちょっとだけ分かるようになった」

「なにが?」
「分かんないけど」

私は頷く。
それで十分だった。

音は、相変わらず揃わない。
リズムも、完璧じゃない。

でも、途中で止まらなくなった。

私は思う。
誰かと過ごした時間は、
終わっても消えない。

形を変えて、
今も、静かに鳴っている。

鍵盤から離した指が、
まだ少しだけ、振動を覚えていた。